2026.05.15
【小田急電鉄 板谷 拓人】新たな登山道管理のあり方を、ともに拓いていきたい。
登山道管理を支える新しい仕組み、小田急のDXソリューション「PATRAIL(パトレイル)」。
その開発を担った板谷さんに、誕生の背景や登山道が抱える課題、そして目指す未来を聞きました。
山を歩き、その目で見た、登山道の課題
振り返れば、幼い頃から登山に親しんできました。家族に連れられて山へ入ることが多く、自然の中を歩くことは身近な体験でした。本格的に山にのめり込んだのは社会人になってからで、行動範囲が広がるにつれて、日本各地の山を歩くようになりました。関東近郊を中心に、山梨や栃木、東北などへ足を運ぶことが多く、ときには北海道まで遠征することもありました。そうして各地の山を歩く中で、ある変化に気づくようになりました。子どもの頃に歩くことができた登山道が、大人になって再び訪れると封鎖されていたり、荒れて通れなくなっていたりするのです。
当初は特定の山の問題だと思っていました。しかし登山を続けるうちに、それが一つの地域の問題ではなく、多くの場所で共通して起きている現象ではないかと感じるようになりました。「好きなものに関する課題なら、自分の中で向き合ってみたい」。そう考えたことが、PATRAILの出発点になっています。
小田急には、社会課題の解決につながる新規事業を社内から公募する制度があります。登山道の管理は、観光資源の保全にも関わる社会課題です。この課題に向き合うことは、地域社会にとって意味があるだけでなく、当社の事業にもつながるのではないかと考えました。そして何より、登山道への想いが、この新規事業への応募の背中を押しました。
静かに進んでいる、登山道の荒廃
この事業に携わるようになってから、多くの自治体や登山道管理者の方々に話を伺ってきました。規模や地域によって事情は異なりますが、多くの場所で似た課題を抱えていることが見えてきました。
現在の登山道管理の状況を一言で言えば、予算と人手の不足です。かつては登山人口も多く、公共事業として登山道整備が進められていました。しかし現在は登山者の減少や行政事業の縮小の影響もあり、管理体制は以前より厳しくなっています。
その結果、これまで維持できていた登山道が維持できなくなり、封鎖されたり危険な状態になったりするケースが増えています。一時的な封鎖だけでなく、整備されないまま廃道化してしまう例も少なくありません。封鎖された登山道を復旧するには多くの予算と時間が必要になり、結果として使えない道が増えていく状況が生まれています。

さらに近年は、自然環境そのものの変化も大きな要因になっています。雨量の増加や災害の激甚化によって、崩落や倒木などの被害が広範囲で発生するようになりました。自然環境の変化と管理体制の不足が重なることで、状況はより厳しくなっています。
登山道は観光資源として語られることが多いですが、それだけではありません。林業や送電線の保守など、山間部の産業活動を支える作業道として利用されることもあります。また災害時には避難路として機能するなど、防災の観点でも重要な役割を担っています。
しかし、こうした価値が十分に社会に共有されているとは言えません。観光資源として利用されているにもかかわらず、どの程度の経済効果を生んでいるのかが可視化されていないケースも多いのが現状です。
小田急も、山とともに生きている
小田急がこの取り組みに向き合う理由の一つは、沿線に多くの山があることです。丹沢・大山や箱根など、沿線の山々は観光資源として多くの人に利用されています。そうした山の自然環境を守ることは、結果として自分たちの事業環境を守ることにもつながります。観光によって価値を享受し、送客によって収益を得ている交通事業者だからこそ、利用するだけでなく保全にも関わっていく。そうした姿勢が、これからの観光には必要なのではないかと思っています。企業は地域資源を利用するだけでなく、その維持や保全にも向き合っていく必要があります。そうした責任を意識することも、企業に求められている役割の一つなのではないかと感じています。
また鉄道事業者は、社会インフラを担う存在でもあります。鉄道が安定して運行することは、人の移動を支える基盤であり、人が生活を営むためのインフラでもあります。その延長線上に、登山道の保全もあると考えています。登山道は、人を呼び込み地域経済を生み出す基盤でもあります。だからこそ、まちづくりの一部として捉えていく必要があるのではないかと思っています。

現場の声に耳を傾けて生まれた、PATRAIL
この取り組みを進めるうえで最も大きかったのは、登山道管理者の方々の声を丁寧に聞くことでした。私たちは登山道管理の専門事業者ではありません。だからこそ当初は分からないことも多く、現場で何が課題になっているのかを理解するところから始めました。自治体職員や管理者の方々に話を伺いながら、どこに課題があり、どこを解決することが最も効果的なのかを探ってきました。自分たちの考えを押し付けるのではなく、本当に必要とされているものを見つけていく姿勢を大切にしました。
登山道管理は、最先端の技術を一度に導入すれば解決するような領域ではありません。現場の状況や運用体制を踏まえると、無理なく導入できる仕組みであることが重要です。そのため、負担を増やさず、それでいて将来的な変革につながる仕組みを少しずつ整えていくことを意識しています。将来役立つものを今の段階から取り入れておく。その積み重ねが、長期的な変化につながると考えています。
登山道を未来へつなぐ、新しい協働のかたち
登山道の管理は、行政だけで完結するものではありません。環境省や自治体、地域団体など、多くの主体が関わる領域です。しかし行政の枠組みだけで、それらを横断的に束ねていくことには限界があります。だからこそ、民間が関わる意味があるのではないかと感じています。民間が加わることで、それぞれの主体が役割を持ちながら協力していく枠組みをつくることができる。そうした可能性が生まれるのではないかと考えています。
登山道の保全は、単に自然を守るという話にとどまりません。地域経済や観光、防災にも関わる重要なインフラを維持する営みでもあります。登山道が維持されることで、人々が豊かな自然環境へアクセスできる状態が保たれます。日本の国土の約7割は山林です。その中には、地域経済の基盤となっている登山道も数多く存在しています。登山をしない人にとっては、自分とは関係のない場所に見えるかもしれません。しかし登山道は、地域の産業や文化を支える基盤でもあります。
登山道を守るためには、さまざまな関係者が手を携え、関心の輪が少しずつ広がっていくことが欠かせません。そうした積み重ねが、この取り組みを持続的なものにしていくのだと思います。登山道を守ることは、自然を守るだけでなく、地域の未来を支えることにもつながっています。PATRAILを通じて、新たな登山道管理のあり方をともに拓いていきたいと考えています。
